文明は破滅に向かって進歩する
さまざまな栄枯盛衰がある。だいたい、人間は死ぬし、機械は壊れる。不滅のものを求めるものもいるし、そんなものはありえないさと達観するものもいる。野心のある若者は、自己実現を追求し、金銭あるいは名誉が幸福そのものだと誤解し、人をけとばしてでも自分の設定したゴールに到達しようとするものも居る。結果ではなく、プロセスにシアワセがあるはずなのに。逆に自分はどうしてこんなに不幸なんだろうとなげくこともある。本当はその時が一番シアワセなときだったのかもしれないのに。
いずれにしても地上を這いまわる我々は自分のできることを成し、挑戦できることには挑戦し、毎日の食事をし、一喜一憂し、生き続けることになる。
失敗作を作ってしまった時、それはダメになる。しかたのない必然である。しかし、成功作を作ってしまっても、それはいずれダメになる。成功した要因そのものが文明の進歩とともに、致命的な欠点になることもある。こんなことしかできない人間だからいとおしい存在なのだろう。うまくいったとしても、失敗したとしても、なんくるないさ、と前を向いて生きることだ。山のような具体的な話を書きたくなるが、それはやめておこう。
常識の非常識
もう3年くらい前になったが、生まれてはじめてズボンのベルトのしめ方が自分は違っているのではないか、と疑いをもったことがある。50年の自分の判断と習慣に疑いをもった。
新しいベルトをしめることになった。いつものようにズボンにつけてしめた。ちゃんとしているか見てみた。
すると、バックルに書いてある字が読める。表面に単語が書いてあって、それが上からおなかを見てみて読める。
ということは、字がさかさまだ。あれっ!そういえば前につけていたベルトには、Rの字が「さかさまに」ついていた。そのときは、変なベルトだと思っていた。
ということは、私は、生まれてこのかた、ずっと逆にベルトをしめていたのではないか?
はじめてきがついた。新しくベルトをセットするときは、かならず右へいれていく。そして、強くしめるときには右へ引っ張る。
これ、どうなんだろうか?あなたは右派?それとも左派?