IDA Session Records

井田 昌之の日々の記録。自己紹介等。

技術適合証明と市場の刺激

特に、スマホ、タブレットの世界について、さらに、日本国内でのいわゆるギテキマークの交付を受けていない機器を国外から持ちこんで使用する、ということについて最近、次のような文を書いて、FBに載せた。

『おそらく、当該国で認めたなんらかの認証を得た機器、つまりアングラで勝手に作った機器ではない、ということの表を作るのがいいかと思っています。国によって異なる基準、考え方で適切な機器ということをみとめている わけだから、それがあればいいとするべきだと考えます。たとえ技適とは異なるあるいは小さな規模の仕様であったとしても。たとえばWiFi Certified(とRoHS)で良いとしている国があれば、それはその国でオフィシャルに通用するも のなんだから、それは持ち込まれても許すべき。このくらいの範囲でOKにする度量がないと日本の競争力を鍛える場に問題が出る。あるいはグローバル基準に対応しながら技術革新していこうということから、この島はドロップアウトの烙印 を押されるのでは?ちょうどPDCのように。』

なかなか難しい問題である。まず,人の出入りは止められないし、むしろ島国日本としては多くの人の行き来があるべきである。そういうひとたちが持ち込んでくる機器をすべて日本国内の基準をあてはめて管理しきれるものでもない。そこでいわゆる国際法の扱いとか、当該分野でいえば、特定機器に係る適合性評価手続の結果の外国との相互承認の実施に関する法律などを作ったりして、技術標準の共通性、互換性という橋をかけることになる。

共通性、互換性ということになると、各国の方針、政策、分野での成熟度といったことも配慮するべきである。日本が持っているスタンダードのレベルに至らなくてもそれを尊重するべきではないかと考えている。当然、特定国を想定したつるしあげてきな制約は、究極のところ、日本に益はないだろう。

そこで、次を続けた。

『輸入を前提とした議論なのかどうか。本来、国産品の間での基準 があって、それをまもるなら輸入品も可としようということだったのでは?スマ ホ、タブレット等々では守るべき国産品があるのかどうか。iPhone崇拝を守る? 日本には何もなくなってしまったのに、アジアの他国の低価格化・自主開発への 努力も葬り去る?栄誉ある孤立?あるいは特定国に対していやだというナショナ リズム?ギテキという非関税障壁があると米国に言われる時点までくれば謝る? 日本発のスマホ、タブレットがあれば前提は違ってきた。そもそもそこまで衰退 している。あとはどうやって復興するのか、他国にあとは頼むね、というのか、 どっちをとるか。その選択的な岐路という点での問題が出てると思う。電波行政 の話は私には何も言えない。』

そう、日本発のスマホ、タブレットは、現在、強い、とは全く言えない。それどころか、市場の選択の中でほとんど選択対象とはされないくらいになってしまった。忘れ去られたといってはいいすぎだろうか。その認識が共有できるのであるならば、スマホ、タブレットのギテキの課題は、輸入品についての網をどうかけるかというだけの話題になってしまう。

日本に、消費者を魅了する製品を作る技術がなくなってしまったとは思わない。やろうというリーダシップ、それによってわいわいと集まる情熱が欠けているだけではないか。

そこで、思うのは、「国産スマホ」の企画をすることである。実勢価格100ドルスマホはかなり実用性を持ってきている。しかしこれではいろいろと足りないことがある。これに機能をたして、たとえば2万円をターゲット価格とするような国産スマホを、それこそ国の予算を使って、つくろうとするプロジェクトを興すのは大いに意味があると思う。そして、OSは2,3用意して消費者が選択できるようにし、また製造・販売も複数の企業がするようにする。

成長戦略には、IT機器の話はいずれにしても関わることになる。けれども、現在、日本製の技術によるIT機器の話のなかでぱぁっとしたものが聞こえてこない。すべて輸入に頼っている。それでは、なんの成長戦略なのかということになる。保護すべきものが無い現状で、制度的な規制をそのままにしておくのは、当然、日本への輸出をビジネスチャンスとしてとらえる企業からは非関税障壁として映る。この現状を追認するのか、それとも変えようとするのか、それは政策課題である。

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Written by masa-ida

7月 16th, 2014 at 9:14 am

Posted in IT

組織力は分担力ではない、相乗効果。

最近、組織力についてかんがえさせられることがいくつかあった。いずれも日本的なおちいりがちな体質についてである。

まずワールドカップサッカーを見ていて。日本の今後の発展を期待する意味で比較するならば、ゴールのそばまでボールを運んで、そこでシュートでいいのにと素人ながら思うところで横パスを他の選手にして、それをはばまれる、シュートを失敗する、が数回あった。これってどうなんだろうとおもう。自分でゴールめざして進んで行って、自分で蹴り込むというシンプルなことでいいのじゃないかとおもう。フォワードを一人残しておいて防戦、反撃としては縦パスでみごとに数少ないチャンスをものにするというシーンもいくつか見た。日本のチームではていねいに、より確実に組織としてなんとかする、とかの気があるようにかんじる。一人一人の決定力、決めるという意気込み、他のプレイヤがどうであっても、と言う部分に課題が残ったと思う。

グループワークのプロジェクト学習をしている。海外への発注実験。複数のグループが、仕様を決めて、それぞれ海外に発注する。アウトソースとはどういうことかという学習でもある。こっちも素人、相手も素人、というべきだから、いろいろどぎまぎあってそれはそれで教育だからよし。次に来るだろう本番に双方がやくだてられればいい。

問題は、グループ内の意思決定、グループを代表して先方と応対する、という仕組みのこと。両側の人をずるずると拘束するようなリードはリーダ的ではない。自分たちの手離れをしたいからアウトソースするはずなのに、それが無いとすればアウトソース先も自分の組織のメンバとして扱うということになる。逆に、グループのメンバが、自分は応対は担当者に任せたから何も途中には関与しない(あとで文句は言う)、というのも組織のあり方として問題が残る。フロントエンドは、適当な範囲では他のメンバの意見を聞き、ある範囲では自分で決めてそれに沿って迅速に行動することが必要になる。

いちばん緩んでいる状態は、自分の分担範囲だけをちゃんとやればいいと自分を決め込む状態。これだと多数が居たとしても力がでない。よく言うのだが、メンバがそれぞれ10%手抜きをしたとする、5名居たとすると、ANDで効くから、0.9X0.9X0.9X0.9X0.9=0.59になって、及第点を割り込む。逆に、相乗効果として一人あたりに実力よりもし10%多い機能をそれぞれが果たしたとすると、1.1X1.1X1.1X1.1X1.1=1.61となる。この差はキョーレツなものになる。そしてそれが人間の学習だと考えれば、実践を経て、能力そのものが上がっていくことになる。

競争的資金獲得による外部資金の導入とそれによる研究の遂行。しばしば、資金がとれると、それでかなり終わったような気になって、あとは書いた計画をはじから埋めていこうとしてしまう傾向。これもなんか根は同じだなぁ、と自戒。

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Written by masa-ida

7月 1st, 2014 at 11:58 am

Posted in 教育